サイズ:200cc
素材:陶磁器
※モニターの発色の具合によって実際のものと色が異なる場合があります。

ドイツブルメン マイスターへの永い道
ドイツでは子供たちは10歳くらいで自分が大学に進むのか、職人の道へ進むのか決めます。大学へ進学する子供はギムナジウムへ。
職人の道へ進む子供はハウプトシューレ等へ進みます。ハウプトシューレを卒業後、それぞれの職種の職業訓練校へ通います。ミュンヘンでは、見習いの子はアツビと呼ばれ、3年間、週に2~3日職業訓練校へ通い、学校のない日は花屋で働きます。
「マイスター」は直訳すると「親方」となり、マイスターのいる花屋だけが見習いの子を雇えます。
この教育システムはドイツの特徴で、学校と現場での勉強を同時に出来るようなシステムになっています。3年見習いとして勉強し、最後にフローリストの試験に合格するとフローリストの資格が得ます。
職業訓練校への入学はマイスターのいる花屋のオーナーが手続きを取ってくれるので、マイスターのいない花屋からは学校の入学許可をとる事はできません。見習いの報酬は毎日働いて日本円にして3万円程です。

例外的な試験
グリューンベルグという小さな町に、FDF主催のフローリストのための学校があります。そこでフローリストの資格を持っていなくても、実務経験6年以上ある人対象に例外的試験)が行われています。
ドイツのヘッセン州が例外的に認めている試験です。半年間のコースを受けた後、試験に合格するとフローリストの資格を得られるというプログラムです。
カリキュラムの前半は机上でドイツフローリスト理論を学びます。
花 色の選び方 花の位置 高さ 角度 そうあらねばならぬ理由を学びます。このコースを終えると 次に マイスター学校へ進みます。
「フラワーアレンジメント」から「フラワーデザイン」に進みます。マイスター学校には 自然志向の高い作品や、異質素材を用いた現代的なモダンな作品スタイルなどがあります。

2年間マイスター学校で学びますが、科目はフローリストの時よりも多岐に渡ります。
教員資格
毒物取扱資格
造形学
色彩学
実技
スケッチ
経済学
植物学
簿記
マーケティング
Stillkunde
建築学
上記がマイスター学校で学ぶ科目です。
毒物取扱資格は危険な農薬を販売、使用出来る資格です。
教員資格は職業訓練校の学校の先生になるため、見習いの子を雇うための資格です。
15歳くらいの子が見習いで入ってくるので少年心理学等の勉強もあります。
マイスター学校では、より踏み込んだ理論を勉強し、実技ではより造形的な作品に取り組みます。ドイツフローリストは フラワーデザインを学べるシステムが確立しています。マイスターの授業は講義3分の2、実技3分の1くらいの割合です。
実技では材料探しから始めます。ホームセンターや、石屋、木材屋 森から材料を調達します。
マイスター試験は 筆記試験と実技試験。実技試験は実際作品を制作する数カ月前のプレゼンテーションから始まります。
クライアントにプレゼンして作成するという設定で、まずプレゼンの資料をパワーポイント等で作ります。この時のプレゼンスキルも試験の点数になります。
プレゼンが通ると作品作りの準備を始めます。作品の中では高さ3.5Mもあるものもあり建築に使う足場を組み作品を制作します。
マイスターの試験は同じ合格でも1~4までレベルがあります。1で合格しても 何かが約束されてるわけではありません。

エンツゥィーステッドハンドル
ケンドラー原作 ノイエ・アウスシュニット型

ドイツブルメン No.33
王者の紫の濃淡で 立体的な ドイツブルメンを描き 手描き金彩で 加飾しております。
縁飾の金彩も 銅板転写でなく 根気良く 丁寧に 手描きして おります。

やはり花はマイセン。学校を出て 親方(マイスター)に弟子入りした ペインターの卵達が まず 最初に習うのが お花の絵です。一人前になっても 自然のお花を 工房に飾って 写生に精を出します。マイセンでは お花を描くのは 旨くて当たり前なのです。

3人の天才ヨハン
 1人目はヨハン・フリードリヒ・ベトガー(欧州磁器の父)
錬金術師にて ヨーロッパに 東洋の白磁を もたらした天才です。
 2人目は ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト,天才絵付師です。
 3人目は ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー,天才造形師です。
この3人を語らずして マイセンを語ることは出来ません。

まず1人目は ヨハン・フリードリヒ・ベトガー(欧州磁器の父)錬金術師にて ヨーロッパに 東洋の白磁を もたらした天才です。彼の名は マイセンとともに 永久不滅です。

磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。
13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。
それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには シルクロード経由で 先に入手していた アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。
この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 ヨーロッパにおける 磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった ベネツィアで 先ず 試みられましたが 曇ったガラス球に終わりました。
同じ16世紀に フィレンツェ大公(富豪メディチ家)は 砂 ガラス水晶粉を 粘土と混ぜた見事な焼き物(軟質磁器)に成功するのですが やはり 東洋の秘法による白い黄金には とても及びませんでした。
その後も 欧州各地で 白い黄金の焼成が 試みられますが 総て 陶工達によるものでした。 
磁器のガラス質に 惑わされた彼らの せいぜい成功らしきものでも 随分 白い黄金には 見劣りのする 軟質磁器(ヴァンサンヌに続く セーヴルでも フリット軟質磁器)どまりでした。
一方  本家中国の景徳鎮で 14世紀には 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。
片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。
ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 多くの陶工と変わらず 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の 優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。
今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。
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